輝く瞳に会いに行こう~ラオス、トルコそして~

輝く瞳に会いに行こう~ラオス、トルコそして~

¥105

アマゾンで買う
カテゴリー: タグ:

輝く瞳に会いに行こう~ラオス、トルコそして~
Price: ¥105
(as of Dec 26, 2020 18:25:37 UTC – Details)


 日本人があまり行かないラオスで出会った子どもたちのこと、2020年のオリンピック開催を東京、マドリードとともに争っているイスタンブールがあるトルコの旅を中心にまとめた本。フィリピン、スリランカの旅についても触れている。これらの旅で世界がいかに多様であるかを実感したと書く著者は「ラオスの子どもたちの瞳は輝いていた。あれこそが子ども本来の美しい目だった。あの輝きをいつまでも失わないでほしい」とラオスの子どもたちにエールを送っている。

  著者は元共同通信記者。2006年から本格的に日本内外の旅を始め、さまざまな人たちへのインタビューを試み、コラムを書き続けている。この本はそのうち海外編の一部として22本のコラムをまとめたものだ。

  ―子どもには、純真さや素直さという表現が一番合う。もちろん、日本の子どもにもそれは当てはまる。しかし、瞳の輝きという点では、ラオスの子どもたちの方が勝っていた。忙しい日本の子どもたちと、自然の中で暮らすラオスの子どもたちのどちらが幸せなのか。世界の子どもたちの環境は、様々だ。でも、子どもたちから輝く瞳を奪ってはならない。それが大人の責任だと思う。(「輝く瞳の源は」より)

 ―かすかな光の点が大きくなり、集落に入り、NGOの拠点である「タオイ地区センター」に到着した。腕時計を見ると午後9時55分になっている。サラワンを 出て間もなく10時間。長くて、きつくて、それでいて人間の力のすごさを味わい続けた時間がようやく終わった。ここが宿舎だ。雨が降り始め、近くを流れる大きな川の水かさが増して、流れの音も大きい。興奮でなかなか寝付かれない。ラオスの夜は、私をおいてきぼりにして更けていく。(「夜の闇の中で」より)

 ―ようやく白々と夜が明けてくると、22人が乗った気球は元気のよさそうなパイロットがバーナーの火を出したり、止めたりして夜明けの空に舞い上がった。風はなく、他の気球と接触する心配もない。滞空時間は約55分。最高高度は500メートル。奇岩すれすれまで降り、さらに街の上空を越え、飛び続ける。早朝のひんやりとした空気の中、カッパドキアの壮大なパノラマをカメラの収める人たちの顔は幸せそうに見える。みんな童心に戻ったに違いない。一人、スケッチブックに向かうMさんの、色鉛筆を使う手が忙しく動いている。(「離団証明書付きで気球周遊」より)

 ―父親の顔は写真でしか知らない。母が父代わりもして育ててくれた。そのためか、父を持たない寂しさやつらさを感じないままに幼少期、少年時代を送り、いつしか故郷を離れて父のことを考えることがないままに長い年月を過ごした。父が死んだと同じ年齢になった時、冷静に父の戦死の状況を調べようと思った。厚生省(現在の厚生労働省)援護局の倉庫には、膨大な太平洋戦争の資料が眠っている。その資料の中から、係官の協力で父の部隊の戦闘を記す報告書が見つかった。報告書には克明に父が所属した部隊が米軍と死闘を繰り広げ、いかに全滅状態になったかを記していた。私は父の無念の死を知った。フィリピンで眠る父を思った。(「父が眠る島」より)

 この本は著者の旅先で感じた心象風景がつづられており、ラオス編の中で著者は「豊かさや幸せに」ついて自問自答している。その答えは著者自身、まだ見つかっていないという。本の中で「ラオスのスーパーウーマン」として紹介されているNGOのノンちゃんは、最近体調を崩して静養しており、彼女のことは「あとがき」でも詳しく触れている。

 著者紹介 1945年福島県生まれ。元共同通信社記者。社会部で警視庁や厚生省(現在の厚生労働省)を担当。3億円事件、ロッキード事件、リクルート事件と いう歴史的事件と中国残留孤児問題、丸山ワクチン認可問題など厚生行政を取材した。社会部記者の後は編集局整理部長、ニュースセンター副センター長、札幌 支社長、メディア局長などを経て2005年8月、共同通信社を退社。以後、さまざまなメディアにコラムを執筆している。

レビュー

レビューはまだありません。

“輝く瞳に会いに行こう~ラオス、トルコそして~” の口コミを投稿します

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ログイン